信和グループの歴史

Group History

たえまなく、あたらしく。

1859年
兵庫県豊岡の地に
ひと粒の種が宿った。

時代が江戸から明治へと向かう激動の最中、現在の兵庫県豊岡市中郷にひとつの命が生まれた。名は斉藤梅吉―
後に大工の棟梁として豊岡の人々のために汗を流し、その遺志はやがて息子浅松の生涯を経て信和建設初代社長 斉藤博へと受け継がれていく。 それは信和建設の設立から100年を遡る日のことだった。

(写真右)
斉藤工務店 二代目棟梁
斉藤 浅松
(写真左)
斉藤工務店 三代目棟梁
信和建設株式会社 初代代表取締役社長
斉藤 博

(写真右)
斉藤工務店 二代目棟梁
斉藤 浅松
(写真左)
斉藤工務店 三代目棟梁
信和建設株式会社
初代代表取締役社長
斉藤 博

信頼しあい、和すること。

尋常高等小学校からの竹馬の友、斉藤博と岸田正二。
ともに戦中・戦後の激動を生き抜き、それぞれに大工として復興の道を歩む。 そんな二人が再び出会い、手を取りあって「信和建設」ははじまった。 残念ながら、この社名に込められた思いは記録には残っていない。 しかし、人を信じ、自分を信じ、ともにより良い明日へ歩んでいこう― そんな熱気だけは、今も私たちの胸の中に生き続けている。


(写真右)
斉藤工務店 三代目棟梁
信和建設株式会社 初代代表取締役社長
斉藤 博


(写真前段中央)
信和建設株式会社 初代取締役工事部長
斉藤 繁


(写真右)
斉藤工務店 三代目棟梁
信和建設株式会社 初代 代表取締役社長
斉藤 博
(写真前段中央)
信和建設株式会社 初代取締役工事部長
斉藤 繁

時代の変化を、自分たちの進化に変えた。

戦後の復興期を乗り越えて日本に新しい「夢」が生まれた。
畳の暮らしから椅子とテーブルの暮らしへ、人々の憧れはしだいに「モダン」へと変わっていった。
それは日本の住宅史における木造から鉄筋建築への転換期でもあった。
技術も発想も、これまでと全く違う建築手法、
それにゼロから挑み、学んでいった。鉄筋建築の技術者を雇い、その知識を貪欲に吸収した。
設計部門の社内創設にも取り組み、時代の要請に応えようと夢中で努めた。
私たちは「仲間」から「チーム」へと変わった。
新たな時代が、幾つもの試練とともに私たちを待っていた。

積み上げてきた思いが、
誇りとなってあふれだす時。

信和建設は、地方の一工務店からはじまった。
私たちはいつも「住む人」「暮らす人」のすぐそばで、肌と心を触れ合いながら仕事をした。
事業が大きくなるにつれ、いつしかそんな触れ合いは遠くなり、
大手の建設会社の下請けとして、様々な現場を手掛けていくようになる。
そのなかで積み上げた苦労と経験そして悔しさが、私たちのなかにある思いを生んだ―
「誰のために、何のために仕事をするのか?」
もう一度、自分たちを信じて人生を託してくれるそんなお客様のために仕事をしようと決めた、
下請けから元請けへの決断。
リスクと背中合わせの希望に向かって胸を張った。

もういちど生まれ変わろう、心から、そして姿へ。

事業は着実に成長していた。人も育ちはじめていた。しかし何かが足りなかった。
社員一人ひとりのモチベーションを、組織としてのビジョンに高めること、スペックを越えたスケールをめざすこと。
お客様に、満足を越えたよろこびを提供すること。それは、あたりまえだが、生やさしくはない。
社員の声に耳を傾け、共通する思いをもとに企業理念が生まれた。ニーズの先に目を凝らし、100年住宅という理想を描いた。
信和建設のめざす「心」と「姿」が一人ひとりのなかで少しずつかたちとなって、胎動をはじめていた。

地に足つけて、私たちの夢が立ち上がる。

ルネス工法による100年住宅への挑戦はしだいに熱を帯びていった。
2005年には受注実績日本一を達成した。
でも、建てることだけが目的ではなかった。数を誇ることでもなかった。
100年という時代の変化、そしてお客様のライフステージの変化に、
どう寄りそっていけるのか?
本当の提案は、建ててからはじまる。
技術力、施工力以上に、企業としての「想像力」が試された。
様々な試行錯誤のすえに、私たちの思いはひとつのかたちに集約されていった。
2006年、初のオリジナルブランドマンション「ドルチェヴィータ」誕生。
それは、夢で終わらない夢のはじまりだった。

困難に向き合って、
企業の真価は試される。

追い風は吹き続けた。株式上場の夢も、視界にあった。そして風は不意に変わった。2008年 リーマンショック。それまでの時間がとまった。 進めていたプロジェクトが次々と休止に追い込まれ、資金流動という企業の血液もとまった。他の建設会社も状況は同じだった。ただひとつだけ、大きな違いがあった。他社の社員が会社を見限って離れていくなか信和の社員たちから小さな支援の申し出が次々と寄せられた。その動きは、やがて外のお客様の間にも広がっていった。会社に、再び熱い血が通いはじめた。そこに奇跡はなかった、ただ、人のこころの真実があった。

人のよろこびが、
自分のよろこびに変わる時。

リーマンショックを転機に、これは自分たちの会社、自分たちの仕事、そんな意識が一人ひとりに芽生えはじめた。前例や常識にとらわれない自由な意見やアイディアが「声」となって社内から湧きあがった。過去を忘れて、未来を向いた、失うものは何もなかった。「帰りたくなる家がいいですよね」ある社員の声から、天然温泉「ひなたの湯」のあるマンションが実現した。部屋を貸したい人と借りたい人の「満足」をマッチングする「みつけや本舗」が生まれた。ホテル事業で育てたノウハウが新しいアイディアを生んだ。 建てることから、活かすことへ。お客様のよろこびが、私たちのよろこびに変わった。

人の想いに寄りそうこと、
不安を希望に変えていくこと。

動きはじめた思いは、お客様の先にある地域社会へと向けられていった。
少子化、高齢化の進行、単身層やシングルマザーの増加-
「社会的孤立」という言葉が私たちの胸にささった。
まだデジタルネットワークなどなかったころ町にはお年寄りがいて、子供たちがいて自然な触れ合いと笑い声があった。こには「ご近所」という小さくて豊かな社会が存在した。もう一度、そんなコミュニティをつくり直そう。リーマンショック以降、基礎工事を終えたまま放置されていた現場があった。 その真っ白な土地の上に誰も見たことのない夢を描こうと決めた。

建てることから、活かすことへ。お客様のよろこびが、私たちのよろこびに変わった。

今日をとめない、明日をとめない。

そしてまた、時代は大きく動きはじめた。
ひとの価値観はますます多様化し、誰も正しい答えを見つけられない。
過去の常識はもう通用しない。次の常識は、まだかたちにならない。
私たちにできるのは、決して今日をとめないこと、明日を向いて進みつづけること。2017年、初の海外プロジェクトタイ・バンコクでのマンション分譲が始動。
建てることから、活かすことへ。お客様のよろこびが、私たちのよろこびに変わった。

2018年、ホテル激戦区に新たなコンセプトで挑む「ライズホテル大阪北新地」をオープン。花は咲くのではなく、咲かせるもの 今日一日に最善を尽くす者に、新しい明日がやってくる。